徒然なるままに、金木犀が薫る夜。
知り合いから賛否両論の反応を受ける僕の文章ですが、気にせずに書いていけたらと思っております。
文体や人称がブレるのもまた自身の脳内がカオスの様相を続けているからで、流浪の旅路はいつまでも続くのであります。
書きたいことの断片はいくつかあるのに、それが上手く纏まらないのでただただそれを垂れ流していこうかと思うわけです。
そんな僕が大事にしている感覚として、「不随意」というものがあります。意図せずふと感じてしまう感覚ですね。
それを如実に表した作品を紹介します。
「赤黄色の金木犀」
フジファブリックは僕の青春の1ページに大きく残っているバンドなのです。いいバンドです。若くして亡くなった志村正彦は素晴らしい表現者であると確信しているわけですが、それと同時に偉大な詩人であったと思います。
街に金木犀の香りが溢れてきたので、この曲の歌詞について考えてみようかなと思った次第であります。
http://j-lyric.net/artist/a033e7f/l002d56.html
第一連
もしも 過ぎ去りしあなたに
全て 伝えられるのならば
それは 叶えられないとしても
心の中 準備をしていた
もしも過ぎ去りし から始まるこの詩ですがここでは「自分とあなたの関係性」を述べていますね。「過ぎ去りし」からわかるように今では何の関わりもないことが明示されていますが、三行目の「それは叶えられないとしても」から感じる諦念と不随意が二人の関係をそれとなく匂わせています。少し唐突とも思えるこの挿入が後々効いてきます。
第二連
冷夏が続いたせいか今年は
なんだか時が進むのが早い
僕は残りの月にする事を
決めて歩くスピードを上げた
一連目と打って変わって現実に引き戻されています。冷夏が終わりを迎え、「なんだか時が進むのを早く感じてしまう」のもまた不随意ですね。歩くスピードを上げた、でテンポがあがるのが演奏と歌詞の心情が同調していて良いと思います。
第三連
赤黄色の金木犀の香りがして
たまらなくなって
何故か無駄に胸が
騒いでしまう帰り道
サビのパートになります。赤黄色って言い方がとても特徴的ですね。嗅覚にたまらなさを感じるのがすごく共感できます。「何故か無駄に胸が騒いでしまう」のも不随意の表現ですね。
第四連
期待外れな程
感傷的にはなりきれず
目を閉じるたびに
あの日の言葉が消えていく
サビのテンポを維持したまま疾走感を残して進んでいきます。しかも感傷的になるのではなく、感傷的に「なりきれ」ないのがまた良いですよね。目を閉じるたびに消えるあの言葉、二人しか知りえないシーンが手のひらから零れ落ちていくのがまた、疾走感と相まって切ないです。
最後の第五連、ここは現代に誇る名文だと強く思います。
いつの間にか地面に映った
影が伸びて解らなくなった
赤黄色の金木犀の香りがして
たまらなくなって
何故か無駄に胸が
騒いでしまう帰り道
いつの間にか地面に映った影がのびて解らなくなった、の何が解らなくなったのか明示されていないのがポイントですよね。影なのか自分なのか。影というのは自己の投影の比喩表現だと捉えると、どちらも同じなのかもしれません。第三連を繰り返すことで切なさを重ね掛けているのがとてもいいです。
こんな文章で解説しても零れ落ちてしまうほどに素晴らしい歌詞ですので、全世界の人に聴いてもらいたいですね。
無駄に解説が長くなってしまったので、今回はこれだけにしておきます。
ほんとはもっと無駄に色々とつらつら述べたいものですね。1264文字。