Chronicle.

不随意と白昼夢について。

知らない

いつぶりの投稿だろう。

久々にブログを更新したい。

 


なぜ筆を走らせようと思ったのか。星野源がストリーミング配信を解禁したからだ。

 


久々に星野源の初期(中期?)(〜ストレンジャー)の曲までを聴いた。そこはかとなく希死念慮や諦念を感じさせながらもどこか明るく、日々を歩むことを諦めない意志を感じさせる楽曲はいつかの僕を支えてくれていた。間違いなく。そんな昔の気持ちを思い出した。

 


星野源はその後、病気に倒れ、一命を取り留め、いつ死ぬかわからないならと明るい歌をたくさん歌ってポップスターになった。

事務所の方針もあろうが、間違いなく商業音楽としての成功者に彼はなった。いじめられ引きこもりになった人たちの希望である。

 


閑話休題

星野源自身がそんな変化をしていた一方で僕はいつまでたっても14歳のような気持ちで生きていた。そのつもりだった。

今回筆を走らせたのは星野源の歌が以前と違うように聴こえる自分に気がついたことがきっかけだった。

 

知らない」という歌がある。

 

改めてこの曲を聴いて、歌詞を読んだ時、以前とは全く違う意味を持った事に気がついた。

 

「知らない」というタイトルはとても良い。「分からない」ではなく「知らない」ということはこれからまだ「知る」可能性があるということだ。僕は余計なことを「知って」しまったばっかりにひとりの人間との関わりが無くなってしまった。「知って」しまえば「知らない」状態には戻れない。人間の関係と似ている。一度関係が壊れれば壊れた事実からは逃げられない。


ここ1ヶ月の僕はと言えば、人を好きになろうとした。人になろうとした。生まれて初めて人に好きと言われた。僕は舞い上がり、そのまま自由落下して墜落した。

結局、全てが何もなかったかのように消えてなくなった。全て自分のせいだ。

何よりも悲しかったのはのは人に嫌われる事よりも、中途半端な優しさや逃げの気持ちから中途半端な距離を保とうとした自分の浅ましさや、表面上を取り繕う人間同士で行われる駆け引きだ。未熟な僕にはそれが耐えられなかった。二人して闇の中へ落ちていきたかった。闇の中を歩きたかった。

謝らなくてはならないのは、その人の人生に関わってしまったことで、その人に向けて何を歌いたいとかそういう気持ちは一切無い。だから僕はさよならを言う。まだ言えていないさよならを。絶望を連れて。

 


それに追い打ちをかけるように、いなくなろうとしている人がいる。歌の上手い素敵な人だった。特別何かその人にしたわけでも熱心にその人を追いかけていたわけでもないのに、喪失感が自分の予想より大きく来ているのはその人にあの人を重ねているからなのか。自分でもよく分からない。


綯い交ぜになった気持ちは文章の体を成さず、しかし、生活と同じようにただひたすらに地続きに続いていく。果てしなく。

この混沌とした感情をどうすればいいのか分からなかった。死んだ夜の街を大声を上げながら走りたかった。マイクに言葉にならない叫びを通して壊れた歌を歌いたかった。しかしどれもできない僕はせめてその気持ちの上澄みの上澄みを一つの歌にしてみたい。そのうち。全ては僕の頭の中にあって、何一つ正解は無い。

 

僕は何も知らない。

 

 

しかしそんなことがあった僕は、人と人が出会い別れる一連のサイクルを愛している。仲のいい人と縁を切る瞬間が一番エモーショナルで芸術的だ。例えるなら花火に近い。夏の終わりによく似合う。

 


いつまでもそうやって人々のすれ違う交差点に立って、行き交う人と出会って、また別れてを繰り返していきたい。死ぬまで。物語は続く。絶望の側で。

 

1511文字