Chronicle.

不随意と白昼夢について。

狂気は続く

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毎日更新しないと意味がないのにまた更新をさぼっていた。

細やかな感覚は寝れば忘れる。嫌なことだけじゃなく、幸せな気持ちも忘れる。

 

この前ライブをした。コピーバンドもやったしオリジナルも歌った。

同じバンドと言ってもコピーバンドとオリジナルでは全く異なる。共通点と言えばはいつも自分がとても楽しいと思える状態で演奏を行うことだ。ステージの高さの分だけ他人より高いところにいるんだから、それだけの意識をもって見せ方をキチンと考えれば、それはそれで何でもよかった。

 

問題は、お金をいただくライブだ。

僕もかつて一年ほど、月イチという少ないペースとはいえ、お金をお客様に頂いてライブをした経験がある。その経験に今でもライブを観るときに引きずられてしまう。

 

先日、弾き語りとバンドそれぞれ3組ずつのイベントを観てきた。

知っているバンドや、前に見たバンド。客席には知り合いがいて、とても居心地のいいライブだった。

演者の中に女の子のSWWは世間の不条理や悲しみを歌っていて、歌詞自体はともかく歌い方というべきか表現力が良かった。

 

その夜に、SNSでその子を見つけて、ライブにまた行きたいなどと考えつつ見ていたら、ブログを更新していた。

そこには「全然ライブできていなかった」「打ち上げで泣いた」などと書かれていた。

彼女は17歳だった。

Number Girl - YOUNG GIRL SEVENTEEN SEXUALLY KNOWING (Live at SHIBUYA ROCKTRANSFORMED) - YouTube

なんとも羨ましかった。17歳から音楽で生きられていること。

なんとも痛ましかった。17歳なのに音楽で生きていくこと。

なによりも悲しかったのは、そんな野次馬根性で彼女に自分を重ねて、ろくに知りもしない女の子に、同情をし、「若いな」などと思ってしまったこと。

 

僕にもおそらくそんな時代があったのだ。

若さに身を任せ、自分が世界で一番であると信じて疑わなかったあの頃。

夏の陽射し差す日や冬の雪降る夜にドラマがあったあの日々。

僕はその時期に、何をして、何をできなかったんだろう。

 

そして、この後悔は今の自分にも突き刺さるのだと思う。

 

だから僕は、今やるべきことをやらなければならない。

今見える景色を歌にし、文章にし、創作し続けなければならない。

 

狂気は続く。

当たり前や現実といったものを、己が言語感覚で壊さなければならない。

言葉にできない想いをしっかりと言葉にしていかなければならない。

 

狂気は続く。

それこそが、今の自分ができる最大の功労である。

 

狂気は続く。狂った毎日は続く。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

生活リズムが 無い

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最近、生活が乱れに乱れてしまって本当にいけないことだと思う。

人様に迷惑をかけるのは本当にいけないので5時8時の睡眠をとり、コピーバンドの合わせに向かった。久々にバンドらしいバンド活動をして感動してしまった。楽しいね、音楽。

 

それから学食で友達とカレーを食べてみたり、落ちてた財布を拾って届けてみたり、最近忘れかけていた学生生活を取り戻してみたような気になった。

 

それから蒸し暑いキャンパスを通り抜け、通り雨に打たれて、雨宿って、雨上がりの街を帰った。

 

家に帰っていろんなタスクを終わらせるつもりが、布団の上で蕩けてしまって、つい先ほど起きたという訳。

映画を見てから寝ます。

 

全然文章を書けないな。ま、気にせず。

おしまい。

 

クリームソーダ

昨日は日付が変わってからも、陽が昇っても寝れなかった。

明け方に作業をして、めちゃくちゃに早起きな人のように生きた。

 

早くに学校に行って、部室のカギを取りに行く坂道がとてもいい風景だった。

陽射しと蝉の鳴き声が完全に細田守の映画のワンシーンのようだった。妙に明るい色彩と鋭い日差しは、ママチャリで坂を下れば完全に青春だった。

昼には久しぶりに学食でカツカレーを食べた。徹夜と暑さにやられていた僕にはとてもおいしくて、泣きそうになってしまった。

 

柄シャツに金髪、短パンに白キャップという出で立ちで休日の夏の学校を練り歩くのはなかなかに楽しかった。非日常を感じて生きていきたいといつも思っているので、こういう日は貴重だった。

 

バンド練習では新曲を作った。一週間前はまだ完成しないかもしれないな、と思っていたのにすんなりと作れてしまって、これだからバンドはやめられないなと思ってしまった。

 

それからライブハウスで友達の演奏を観た。

同期がかっこいい音楽をやってるのを見るのは良いものだなぁと思った。

コピーでこれをやっていて最高だった。

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ただ、大きい音を聴いていたら不安な気持ちになったので何度も外に出てしまったのが、自分でもわからなくて怖かった。音楽が聴けなくなってしまうとしたら、それは、言い難い恐怖だ。

 

うどんを300円足らずで食べて、21時くらいに寝た。

充実した一日だった。

引き籠り生活

 

 

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いやほんと今日って五時間くらいしかなかったんじゃないか?

10時に起きて、昼ごはん食べてまた寝て、起きたら17時で空は晴れてて、家から出ないの勿体無かったな。

白瀬百草さんの踊ってばかりの国のカヴァーが良すぎて、原曲まで好きになってしまった。

 

調子に乗って買った梶井基次郎の「檸檬」、この歳まで読んでないことと、夏にかまけて小説を買ってしまったことと、恥ずかしい限りだなぁ。

 

ずっと前から「若きウェルテルの悩み」を読みたくて、買ったら表現が読みづらくて辛いけどこれはちゃんと読みたいので寝ている場合ではない。

 

酔って買ったハイライトをようやく吸いきって、camelを吸っている今が今日一日で一番楽しいかもしれないと思ってしまうほど今日は何もできなかったし、できなかった。

 

洗濯物を干して、いろいろと片付けて映画を見て寝ようかな。

 

はい、おしまい。

夏のド真ん中に立って、うっかり夏の終わりに思いを馳せてみた。

昨日はいろいろなことをした一日だった。夏だった。

 

午前中は寝て過ごした。暑さに目を覚まして、シャワーを浴びて、お昼ご飯を食べに家を出たら妙に日差しが強くて、「夏だな」なんて声に出しそうになってしまった。

 

用事を二、三済ませたら次の予定まで3時間も余ってしまったので、散歩に出かけてみた。妙に雲が厚いのに紫外線だけが僕を突き刺すようで、どうしようもなく夏の中だった。そんなことを考えながら歩いていたら、急に通り雨が来てしまった。

幸い家に近かったので、帰宅し、家で雨宿りながら、こんなコロコロ変わる天気もまた夏の醍醐味なのかな、なんて思ったりしてみた。

 

すぐに雨は弱まって、時間はまだあったあったので古着屋さんに行こうと思った。古着は滅多に買わないし、そもそも服に関心もあまりなかったが、今年の夏は絶対にアロハシャツを着たかった。それだけのために古着屋さんへと向かった。

夏真っ只中に夏物を買うのは馬鹿だと思った。古着屋さんもそんなことを思っているようでサマーセール中であった。卑屈な僕は、柄シャツやアロハシャツを精一杯たくさん試着して、吟味して、アロハシャツを1着だけ買った。なるべく派手な奴だった。早く着て出かけたいな、なんて思ったりした。

 

そこから約束の場所へ。その日の夜はライブを観る予定だった。

バンドと弾き語りが入り混じるイベントだったが、すごい良い人もいれば全然何にも響かない・響いてこない人もいて、まだ俺の感性は鈍っちゃいないなと実感できた。

クソみたいなシンガー。隙あらば自分語りするシンガー。“ありがとう”なんて馴れ馴れしく挨拶する自信満々なシンガー。俺はお前らみたいな奴が大嫌いだぜ。曲も全然響いてこなかった。自分の共感できないことを良いと思うなんて俺にはできなかった。帰った人の悪口をいう人もいた。他人より頭を高い位置(ステージ)に置いている人間のするべき振る舞いについて考えてしまった。ヒエラルキー高そうな「そっち側の人間」が鳴らす音にはあまり関心が持てなかった。

取り置きをお願いした先輩は相も変わらずすごいいい声だった。今は会社員をやっているらしい。きっと俺の想像から零れ落ちるくらいの経験をしているんだろうなぁ、なんてライブを見ながら思ったりした。

その日のメインの女性シンガーソングライターのライブはここ最近忘れていた気持ちを思い出させてくれた。最高だった。あり得ないほど近い距離で観ることができて、夢のようだった。恋に落ちた感覚に近い気持ちを抱いてしまうほどに、綺麗な声で素敵な歌詞を歌っていた。ヒールがコツッとなる音まで演出のようだった。あの時間だけ魔法にかけられたみたいに、柔らかく、日々の喧騒とは遠いところに連れていかれたみたいだった。感動させられっぱなしだったのでCDを買ってしまった。サインに果物の絵まで描かれてしまってなんだかとても好きだなぁなんて思ってしまった。それとほぼ同時に無駄に悲しくなってしまったりもしたのだけれど、それはたぶん後付けの感情なのでここには書かない。

その日のトリはバンドだった。アンディモリmeetsはっぴぃえんどみたいな(?)素敵な歌を歌っていた。夏の日の夜にふさわしいバンドだったと思う。ゆるく見えるけれど何か張り詰めた瞬間があったり、バンドの演奏にあそこまで「今聞きたい!」と思ったのは初めてだったかもしれない。演奏が終わった後、挨拶をしに行ったら「僕らは夏の終わりみたいな曲しか書いてないからね」と言われて納得してしまった。また夏が終わる前にもう一度ライブに行きたいと思った。

 

帰り道は無駄に遠回りして帰った。

 

帰りの国分町の立ち食い蕎麦屋で冷たいかけそばにコロッケを乗せた。入り口を開け放した蒸し暑くて狭い店内には僕しかいなくて、閉店間際のそばは茹でたてだというのに何ともやる気がなかった。「ごちそうさまです」と声をかけて通りに出ると、ぬるい風に吹かれてしまって、何もかもが夏だった。妙にしっとりした首元が、そう言っていたようだった。

 

きっとまだまだこれから何度も「夏だな」なんて思うんだろうし、そのたびに今日のこともフッと思い出すんだろう。

 

それくらい、文句無しに、昨日は夏だった。

 

 

 

1714文字。また会いましょう。

価値観とムカつき、悟りの里への道

最近悟りを開いたなっと2、3か月 ごとに思い続けているのです。このままだと一生悟りの里にたどり着けないです。そんなもんか、と夏を過ごしています。

毎日更新したいなと思っていたのに、一日坊主でしたね。せめて三日は持たせたい、まず二歩目を踏み出したい。そんな気持ちで筆を進めていきましょう。

 

 

 

ふとTwitterを見てると思うのです。「みんな、何かにむかつきすぎじゃない?」と。

今回のテーマはこれでいきます。

 

 

夏が来たってのに鬱蒼とした曇り空で何にも唆される気配もないと精神が荒ぶっていくのでしょうかね。類は友を呼ぶのか、私自身やたらとムカついた気分になりますがそれでムカつくのもどうなんだ?って思うわけです。

 

そのムカつきの多くは、「他人に価値観についてとやかく言われたから」というのがやたらと目につきます。

 

日常の生活において、自分の考えを押し通すことはリーダーシップの観点からみればとても良いことで、社会から見れば自分を突き通せる人間は大きく重宝される人間だと思います。

しかし、芸術ないし、文化的行動にはすべて「個人の主観」が大きくかかわってくると思っています。それを前提にした時にわざわざ自分の意見を声高に言い張って、他人の価値観を踏みにじろうとする人、多すぎない?

 

先に結論を書くと、これって言い方の問題だと思います。

「自分は良くないと思う」とか「人によっては好きじゃないと感じる」とか言えば別に誰も不快な感情を抱かずに済むわけです。

それをわざわざ「俺はそれが嫌い」「そんなのはクソだ」「そんなを好きなんて信じられない」etc etc etc......

 

そんなの全部うるせえ、って一蹴できればいいのですが、なかなかそうもいかないですよね。言われて嫌なことは誰に言われてもストレスです。なんでお前にそんなこと言われねきゃいけないんだ...ってなります。

そんな人間の留飲を下げる行為をわざわざ手伝うのも腹立たしいので、もう僕は怒りません。「あ、まだそこにいるのか」と笑って往なしてあげます。

というのも、2,3年前は僕も似たようなことしてました。人に文句をつけて、下に見れば相対的に上になった気がして、安心感が出ます。分かるなぁ~。

 

でも、そんなくだらないマウンティングの行きつく先は空っぽなんですよね。実力もない人間が、周りを攻撃して得られるものって結局のところ「この人に文句付けられるの嫌だから適当に褒めとこ/かかわらないようにしとこ」みたいな周りからの拒絶なんですよ。

これに気が付いて、実際にいろんな人が自分の周りを去って、初めてこれはいけないなと気が付いたわけであります。

失って初めてそのものの価値に気付くというのは悲しいものですよね。

 

そんなわけで、最近はいくら気に食わなくても、相手の価値観に踏み込むようなことはしないように気を付けています。

また、誰かが自分の価値観にケチをつけていたら、それは良くないと思うと考えを促したり、ケチをつけられて怒ってれば、同情し、一緒に怒ってあげようと思います。それが僕にできる悟りの里への第一歩なのかなと思いました。

 

というわけで1283文字。今日はこのあたりで。

コンスタントに更新を目指したいと思います。

 

 

スタート

何事も最初と最後が大切だと思って迷っていたら、いつまでも始まりそうにありませんでした。

 

とりあえず書き出さないと始まらないということで、自分も忘れないように、思い出してなんだかくすぐったい気持ちになれるように、ここに記しておこうと思います。

 

 

このブログは自分が如何に人の目を気にして生きているかを客観的に考え、それを脱し、さらに文章力を鍛えるために作りました。

 

コンセプトというか、テーマは「人にオススメしたいもの」にしたいと思います。

大体は音楽の話になると思います。それから日々考えていること。140文字ごとに思考が止まる脳内の文章設計の離脱ができればなんでもいいと思っています。ハードルは低く。継続は力なり。

 

オススメしたいものがたくさんあるので、なるべく頻繁に、かつ三日坊主にならないように更新をしていきたいですね。

 

ここで培われた力が将来に役立つことを願いながら、継続していこうと思います。

継続苦手なんですけどね…笑

 

 

ここからは、適当に自分が普段考えていることをとりあえず書いていきますね。

 

 

 

 

今回のテーマは…

 

「日常生活における『whodoneit』や『whydoneit』について」

 

です。

 

何言ってるか分からないと思います。でも、説明すれば「なんだ、そんなことわざわざ変な言葉使って書くなよ」って思われると信じてます。

 

「whodoneit」や「whydoneit」というのは、主にミステリー小説の作品解説なんかに使われる言葉だったと記憶しています。

英文の  Who done it ?  や  Why done it?  という意味なので、「whodoneit」なら「誰がそれをやったのか」だし、「whydoneit」なら「なぜそれをやったのか」という意味になりますね。

 

こんな単純な英語の解説をしたいわけではなくて、これを日常生活に感じることがとても多くて、最近この言葉を使って色々と考えてしまうことが多くあるからなんですね。

 

 

僕は、大学を3回戦まで勝ち上がったつもりが敗者復活戦に臨んでいる。そんな生活を送る大学生なんですが、大学生ほどのモラトリアムの渦中にいるとどうしても余裕がありすぎて人を攻撃することでしか自分を満たせないみたいな人間が多く存在します。

 

そういう人はだいたい少し自分に自信が無くて、裏を返せばかなり自分の評価に不満があるわけです。俺のがやばいのに、なんでみんな褒めてくれないんだ。ってね。

大丈夫ですよ。世界中の人から好かれたいと思わなければ、誰かはあなたの事を好いてくれるはずだから自信を持っていいんですよ。

 

しかし、そういう人は決まって見下した対象を否定します。下を作れば安心感がありますからね。簡単に楽になれるならそれに越したことはないですから、よくありがちな手法です。みんなやります。だからっていいわけじゃないけどね。

 

厄介なのは、これって怠惰な人だけがやるものかといえばそうでもなくて、むしろ何か目標を持って努力をしてる人の方がする傾向にあるような気がします。体感なので、なんとも言えないですけど。

たぶん、「俺の方が頑張っているんだから、この頑張りは報われるべき。俺より頑張らない奴を刺しても問題ないだろう。」みたいな間違った発想に基づいている気がします。

気持ちは大いにわかりますが、せっかく自分で築いてきたものをそんな自分より下のやつを攻撃するために使うのも勿体ない気がします。そんなことしてるから褒められないんですよ?悪循環。

気持ちがよく分かるし、人間らしいのでそういう行為に及ぶ人は好きですが、冷静に考えると間違ってるし、勿体ないですよね。もっと力強い生活をこの手に。って感じです。

 

閑話休題。そんな人たちはよく「○○があんなことこんなことをしていた。最低だ。」なんていうような台詞を吐くわけです。

しかし、その内容がたまに自分でもよくやるような、ありふれた間違いだったりするんです。そういうときに「俺もよくそういうことしちゃうな。」なんて相手を擁護するとだいたいの人が「それは○○だからいけないんだよ。君はそんな悪い人間じゃない。」なんて反論を受けます。

 

うーん、分かるなぁ。俺はそんな悪い人間じゃないもんなぁ。現に口悪く君と他人を罵り合って溜飲を下げている君の味方だもんなぁ…。

まぁ、そんな一義的な正義感に駆られてこの文章を書いているわけではないのでそこの是非は各々の胸の内に秘めておいてください。

 

大事なのは「○○君だから」とか「君だから」というワードですね(よく見ると分かりにくいなぁ。伝わるかな。)

これってミステリー小説における「whodoneit」と同じですよね。行動を批判する原因を「何をしたか」よりも「誰がしたか」で決めているわけですから。

 

これって本質とものすごく遠いところにあると思うんですよ。

 

誰々はいつもキチンと仕事をするから信用できる、みたいなその人の評価をその人の行動で決めることは何も変じゃないですけど、それがひっくり返ったら訳が分からなくなりますよね?

AさんとBさんそれぞれ同じ行動をとったとしても、評価が違うなんてことがあったら少し嫌だなぁと僕は思います。

 

でも、現実的にかなりやられていることだと思います。悪くないというか、ただ陰口叩いて溜飲を下げるだけなら何も悪くないんで、そういうことをやるなとかっていうわけじゃなくて、キチンとした評価をする場面でそういうことをしちゃいけないよって話です。自戒の念を込めて。

 

特に芸術的活動をしている、感性でしかモノの優劣を決められない分野ではこれがかなり多い気がします…。

好きなものだけ好きっていうようにしましょうね。無駄な争いは幸せを生みませんからね。

 

このブログも何を書くのかなぜ書くのかを大事にしていきたいと思ってます。僕がどんな人間か、というのはどっちでもいいと思いますね。はい。

 

ああ、広げた風呂敷を畳むのをミスった気がします。作文用紙だとこんな文字数を書くのは苦痛だった気がするのですが、気がつけば空白をカウントせずに2523文字。結構書きましたね。次回からこんなに書くかは知りません。テキトーにやります。

 

それでは今回はこの辺りで。

割といいスタートを切れた気がしますね。